【UFOによる核兵器の無力化】ロス・デットリクソン(米国空軍大佐/原子力委員会)の証言

UFO

『宇宙空間での核兵器使用は容認できない』ということを地球外知性体により行動で示されてきたという、デットリクソン空軍大佐の証言です。

デットリクソン大佐は米国空軍の退役大佐だ。彼はスタンフォード大学経営大学院に入り、そこで経営学を学んだ。

1950年代、彼の任務の一部は原子力委員会(AEC)のために核兵器貯蔵の在庫目録を整備し、安全調査団に同行して兵器の安全を点検することだった。

方々の貯蔵施設と一部の整備工場でUFOが目撃されたという報告が相次いでいた。彼自身、それらを何度も目撃したし、1952年7月に首都ワシントンで起きた有名なUFO編隊上空乱舞のときには、その現場に居合わせた。

デッドリクソン氏は証言の中で、照明をつけた9機の円盤型UFOを目撃したことを回想する。

また、宇宙に向かった核兵器を地球外知性体が破壊した、少なくとも二つの出来事についても語る。

その一つは、月面爆発を試すために月に向かったときのことだった。それが破壊されたのは”宇宙での核兵器は地球外知性体にとり容認できない”からだった。

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私はローレン・ロス・デッドリクソンといい、米国空軍の退役大佐だ。大学では理学士号を得たが、空軍は私をスタンフォード大学経営大学院に派遣し、経営学を学ばせた。そこを終えると、すぐに私はワシントンD.C.に配属され、参謀総長室で教育指導を担当した。

次いで米国原子力委員会に派遣され、核兵器貯蔵の在庫目録を整備する責任者となった。私は米国にあるすべての核兵器製造施設および核貯蔵施設の安全確保と監査に関わった。

私は原子力委員会にいた1952年に、最初のUFO事件を経験した。この年の7月中旬に、UFO編隊は首都ワシントン上空を飛行した。このとき初めて私は9機のUFOを見た。

そしてもちろん、この時期には様々な人々との接触があった。私は原子力委員会委員長と国防長官をつなぐ、軍事連絡委員会の参謀将校だったため、陸軍、海軍、空軍だけでなく、民間機関、CIA(中央情報局)国家安全保障局、さらには私が関係を築いた人々とも顔見知りになった。

その時期の私の任務の一つは、すべての各施設を視察し、その平均の安全性を点検する安全調査団に同行することだった。我々は貯蔵施設の上空にUFOが飛来したという報告を受けていた。それはひっきりなしに続いていた。

ところが公式の報告はほとんどなく、ごく稀だった。保安に携わる人間は、躊躇してUFO目撃の多くを報告していなかった。なぜなら、報告に伴う手続きと官僚主義の壁があったからだ。彼らは報告するのを避けていただけだった。

その後、私はサンディア・コーポレーションを担当する軍事連絡将校に任命され、核兵器の製造、品質保証、保守管理のための品質管理計画を策定する仕事に関わった。そのため、我々は核兵器の組み立てを行うバンデックス工場(*米国唯一の核兵器組み立て・分解施設)など、あらゆる製造施設を視察する必要があった。

そしてそこでも我々は多くのUFOを目撃した。UFOは我々が視察して回っていた施設に強い関心を持っていた。我々は同じ照会を続けた。これらのUFOは、なぜこうした施設の上に[空中停止して]いるのか?

1950年代を通じて続いた長くつらい期間の後、私は1960年代にフェルト提督の元にある総合司令部に配属され、核兵器作戦計画に関わる指揮所の予備位置担当になった。

そこではNORAD(北米防空軍)やSAC(戦略空軍)作戦との連絡を同時に維持し、核兵器使用のための作戦計画に関わった。この同じ時期に、私はUFOに関係して起きた数々の事件を知った。

さらに月日が経ってようやく私は空軍を退役し、ボーンイング社に入った。そこではミニットマン計画の担当になり、ミニットマンI、II、IIIすべての核部隊の経理責任者になった。

この期間に私は核兵器に関係した事件についても知ることになった。これらの事件の中には、宇宙に送られた2個の核兵器が地球外知性体により破壊されたというものがあった。

私はさまざまな接触者たちと話をしたが、彼らの話を聞く限り、これらの事件は実際に起きたようだった。その中に、ミニットマン・ミサイルがバンデンバーグ空軍基地から発射された後、破壊されたというものがあった

今では公開されている記録事項だ。この事件では、ミサイルが宇宙空間に向かって上昇中に、それらを追跡していたUFOが実際に写真に撮られた。そのUFOはミサイルに光線を照射し、それらを無力化した。この様子は記録されたが、事件そのものはすべてもみ消された。

彼らはそれを目撃したチームを分断したが、もちろん結局のところ、そのニュースは世に出た。後にその事件は公表されたので、我々はそれを確認することができたのだ。

(核施設上空への飛来は深刻に考えられていましたか?)

そうだ。まったくそのとおりだ。実際、それらはあまりにも深刻に考えられていたので、目撃者はしばしばそれを報告しようとしなかった。なぜなら、非常に多くの官僚主義、手続き、その他いろいろなことが関係するからだ。彼らは故意にそれらを報告しようとしなかった。

UFOが少なくともレーダーか報告により確認された大部分の事例で、なんと彼らはそれらを迎撃するために航空機を緊急発進させようとした。それは我々自身の政府による非常に好戦的とも言える反応だった。

私の理解では、1970年代の終わりか1980年代初めのいずれかに、我々は核兵器を月に送り、科学的データの取得や他の目的のためにそれを爆発されようとした。それは地球外知性体にとり、容認できないものだった。

ETたちは、その核兵器が月に向かったときに破壊した。宇宙空間における核兵器爆発は、地球のどの政府によるどんな爆発であれ、地球外知性体にとり容認できないものだった。そのことは繰り返し行動で示されてきた。

(どのような行動で示されてきたのですか?)

宇宙に送られたあらゆる核兵器を破壊することにより示されてきた。

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